『誰もがそれを知っている』 :知られてるのはたいしたことじゃない

評価★★★☆☆
原題Todos lo saben
公開2018
時間132 min
監督アスガー・ファルハディ
出演ペネロペ・クルス
ハビエル・バルデム
リカルド・ダリン

Trailer :予告編

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First Impression :まえがき

皆がめちゃくちゃ褒めている映画なのに自分は理解できないのというのは辛い。でもわたしには何故この作品がそこまで褒められているのかがよくわからないのよ。

この『誰もがそれを知っている』は、Rotten Tomato でも評価が割と高めで、日本の映画批評サイトを見ても軒並み高評価だ。

ジャンルとしては「サイコスリラー」だと日本版のウィキペディアにも英語版のWikipediaにも書いてあるが、この作品はどう考えてもサイコスリラーではないだろ……。

確かに誘拐事件に付随した人間の心理描写が主体だ。だがむしろ描かれているのは、ある種の悲哀だ。もちろんそこには閉鎖的な田舎特有の陰口が飛び交うような環境も描かれているが、それを「サイコ」と呼んでしまうのは違うだろう。たとえ「サイコ」に「心理的な」くらいの意味しかないとしても。

だから「サイコスリラー」と聞いて大体の人が想像してしまうようなものは、この映画にはない。描かれているのはあくまで悲哀である。それもまあまあ貧しい村のやや貧しい人々の間に静かに漂っているルサンチマンみたいなものだ。

Plot :前半のあらすじ

アルゼンチンで暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)は、彼女のふたりの子供イレーネとディエゴを連れて、故郷のスペインの町へと帰郷した。ラウラの妹アナの結婚式に参加するためである。

ラウラが親類と久しぶりの再会を喜ぶあいだ、16歳になる奔放なラウラの娘イレーネは、町で出会った若者フェリペとバイクに乗って出かける。

ラウラの姉マリアナの子ロシオは一人娘を得たが、夫のガブリエルとは上手くいっていない。ガブリエルと別れて一人で娘を育てるというロシオをラウラは祝福する。

ラウラが幼馴染のワイン農園経営者パコと再会していたとき、イレーネとフェリペが帰ってくる。ラウラは娘イレーネをパコに紹介する。

教会でアナの結婚式が行われている間、イレーネとフェリペは教会の鐘楼に登って遊んでいた。そこでイレーネは母ラウラとパコの落書きを見つける。フェリペの言うことには、かつてラウラとパコは恋人同士だったという。

イレーネはフェリペに落書きに自分たちの名も付け足させるが、その間イレーネは鐘紐にぶら下がって遊び、鐘を激しく鳴らしてしまう。

結婚式のために教会の礼拝堂に集まっていた一同は突然の鐘の音に怪訝な顔をする。「教会の鐘と時計が壊れた。ラウラの夫アレハンドロが来ていれば前のように寄付をしてくれただろうに」と、結婚式の最中にもかかわらず寄付金の話をする神父に、パコもラウラも苦笑いを隠せない。

結婚式の二次会も盛り上がる中、フェリペとこっそりとワインを飲んだイレーネは気分を悪くし、祖父アントニオの家の寝室に寝かされる

すると突然結婚式の会場が停電する。停電は村一帯にわたっていた。パコが自分の農園から運んだ発電機によって会場の電気は回復したが、ラウラがイレーネを心配して部屋に戻ると、部屋の扉には鍵がかかっていた。

ラウラはパコに頼んで部屋の扉をこじ開けてもらったが、部屋の中にイレーネの姿はなかった。

イレーネが寝ていたはずのベッドの上には過去の誘拐事件に関する新聞記事の切り抜きがまとめて置かれており、イレーネが何者かに誘拐されたことを示唆していた

そしてラウラのスマートフォンにメールが届く。誘拐犯から送られたその文言は「娘を誘拐した。警察に知らせたら殺す」というものだった。

Review :批評と解説

不可能に近い犯行状況

さてイレーネ誘拐は、プロファイリングからすると完全に拉致誘拐プロの仕業のはずである。

彼ら誘拐犯はイレーネがアルゼンチンからスペインの自分たちの町に来ることをあらかじめ知っていたはずである。でなければ犯行を遂行するのは不可能に近い。

犯行の直前に送電線を切断して村への電力供給を断ちたとえ暗闇の中とはいえ結婚式の二次会で盛り上がっている集団に見つからずに16歳の少女を他人の家から運び出すことは、思いつきでは絶対に不可能だからだ。周到に計画してさえ上手く行かない可能性のほうが遥かに高い

ところが実はこの犯行はラウラの姪ロシオと彼女の夫ガブリエル、床屋のボーイのルイスの三人で行ったのだという。完全に素人集団じゃないか。しかもどう考えても人数が不足している。

しかもこの三人全員が二次会参加者とほとんど顔見知りである。この時点でかなり無茶のある設定だ。本当にいいのかこれで? いや駄目だろう。

身代金を引き渡すときも似たような御都合主義が出てくる。誘拐犯たちは川に何かを投げ込むことで注意を引きパコを車から離れさせるのだが、もしパコが注意深く身代金入りのバッグを持って川辺へ降りたのだとしたら、この犯行は成立しない。

その結果、誘拐犯たちの素性がばれた可能性は高い。パコは確実にロシオやガブリエル、ルイスとは知り合いのはずである。

まあいい、仮にその犯行が可能だったとしよう。あるいはこの犯行の詳細はこの作品にとっては枝葉の部分だとして考慮しないことにしよう。だいたい多少の粗はどんな映画にだってつきものなのだ。ストーリーの根幹に関わってくるところでやってしまうのは筋悪だが、気にしないでいることはできる。

誰が知っていようがどうでも良くない?

『誰もがそれを知っている』というタイトルが掛かっているのは、イレーネがDNA的にパコとラウラの娘である可能性があるということである。本当はこれはラウラとアレハンドロしか知らないことなので、実は『誰もがそれを知っている』わけではない。村人は憶測しているだけである。

そういった噂話は世界中どんな地域だろうが職場だろうが、普遍的に存在している。もちろん娯楽のない田舎のほうがそういった噂や流言は多いのかも知れないが。

ある男と女が過去に付き合っていたかどうかなんて、その噂話の中でも最たるものだ。はっきり言うが、そんなことどうでもええやろ!だいたいパコとラウラはすっぱりと別れて腐れ縁も対立もなかったのだから、何も問題はない。問題があるとすれば、イレーネが自分の娘だと聞かされたパコと、それを知らなかったイレーネ自身である。そしてそれは当人たちの問題に過ぎない。

パコはイレーネを助けるのは自分の権利だと言っているのだから、その選択の結果は完全にパコが負うべきものだ。そう納得してイレーネの身代金をかき集めたはずである。

ラウラの一族も村の中では以前よりも陰影を増すだろう。より深いルサンチマンを抱えて村だか町だかの中で生きていくことになるだろう。パコに頭が上がらなくなるだろうし、ロシオの犯行がばれたとすればなおさらだ。

ルサンチマンと痴話喧嘩

だがその悲劇は微妙に薄い。正直「かわいそうだよね」くらいの感想しか浮かばないのだ。家族から犯罪者を出してしまった悲劇は、現実にもっと強烈なものがあることを我々は知っている。

日常の中に非日常が入り込めば、誰だって多かれ少なかれ狼狽するものだ。その中で親族や周囲の人々の隠されていた思いが顕在化するのも当然である。で、だからなんなのだ?

そんなのは何も特別視するようなことじゃない。誰だってルサンチマンを抱えて生きている。あの時こうすれよかっただとか、なんであんなことしたんだとか、そんなのはわたしもあなたもおいらもおまえも持っている。金持ちも貧乏人も不信心者も篤信家も変わらない。

ではこの作品にそこまで強烈な印象を残す、我々の胸に濃い影を落とすような何かがあっただろうか? あったというブログや批評は多い。だがわたしには大してなかった。全く無いわけではないが全てが薄い。

だいたい身代金という巨額の負債を背負ってしまったのなら、どんな家族だって崩壊するに決まっている。言うべきでないことを言ってしまうことだってある。

ではこの作品は、遺産相続で目を血走らせながら自分の取り分について声高に痴話喧嘩する家族を描いた時代遅れのメロドラマと何が違うのかね? 人間カネのことになると目つきが変わるって? そんなドラマどこにだってあるじゃないか。

出てくる女優のほぼ全員がかなりグレードの高い美人なのも興醒めだ。特にラウラの一族は金銭的には恵まれていないようだが、ルックス的にはだいぶ恵まれた家系のようだ。

Afterword :さいごに

と結構な文句を書いてしまったが、作品自体がそこまでつまらないわけではない。いかにも善良そうな人々がそれなりに壊れて憔悴していく様はそこそこ見れる。ランチでも作りながら見るのにはちょうどいい作品だ。

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