『奇蹟がくれた数式』 :結果よりも過程が大事

評価★★★★☆
原題The Man Who Knew Infinity
公開2015
時間108 min
監督マシュー・ブラウン
出演デヴ・パテル
ジェレミー・アイアンズ
デヴィカ・ビセ

何が降ってくるって?

突然ひらめきが降りてくることは誰にでもよくある。しかし大体一般人の我々に降ってくるものと言えば、インスタントラーメンの新しくてクレージーな食べ方とか、コンパで女の子をロマンティックに(あなた以外から見れば馬鹿みたいに)口説く方法とか、あの公共放送の小うるさい集金人をポリスメンに拘束されないギリギリのラインで素早く追い返す方法くらいなものだ。哀しいことに。

今ではそれらは多少もったいぶって「ライフハック」と呼ばれ、大凡その九割が意識の高いアホが自分の意識の高さをアピールするために生み出したゴミである。だが、もし仮に我々へ深遠な数学の誰も証明できない長ったらしい定理が与えられたとしても、やっぱりそれはゴミだろう。俺にはストロングゼロを降らせろ。役立たずの数字じゃなくてな!

ともかく、インド人労働者のシュリニヴァーサ・ラマヌジャンには、そういった誰もまだ知らない数学の定理がいくつも降ってきたらしい。彼はバラモン階級出身ではあったらしいが貧しく、しかも数学以外の成績が悪かったため、奨学金を打ち切られ大学も中退しなければならなかった。ラマヌジャンは敬虔なヒンズー教徒でもあり、女神ナーマギリによってその定理が与えられたと信じていた。


 

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証明をすっとばし、定理だけを残す

ラマヌジャンは天才であり、彼に与えられた定理が真理であると知っていた。だから彼の定理には過程がなく結果だけがあった。

ラマヌジャンは渡英後に後見してくれたケンブリッジの数学者ゴッドフレイ・ハーディに対しても、なぜその定理が成り立つのか証明ができなかったという。証明を重視する数学と女神ナーマギリの贈り物との狭間で、ラマヌジャンとハーディは互いに葛藤する。ラマヌジャンとその定理が認められるためには何より研究者たちを納得させる必要があったのだ。それには数式という結果だけでなく、その過程、つまり「証明」がいるのである。

定理の証明は重要である。しかしラマヌジャンにとって数式は神から与えられたものであり、絶対である。一方無神論者のハーディにとってはそれはただの直感に過ぎない。直感では数式の証明どころか皆を納得させることは出来ない。この点でハーディは非の打ち所なく正しいが、正規の数学教育を受けておらず、かつ篤信家であるラマヌジャンにとっては、ハーディの言っていることの意味がよくわからなかった。

主役は誰か

ラマヌジャンが英国にいたのは五年ほどだった。菜食主義者のラマヌジャンは戦争からくる野菜の欠乏によって体力が低下した結果、結核、もしくはアメーバ赤痢かビタミン欠乏症に罹ったようだ。また偏見にも苦しんだようであり、インドへ帰国後一年ほどで亡くなった。帰国後の嫁と母の確執もあって彼の死を早めたらしい。

言うまでもなく、この物語の主人公はラマヌジャンである。しかし実際のところ主役はハーディだ。ハーディは自分でも言う通り、数学にすべてを捧げている。従ってラマヌジャンを数学という価値からしか見ることが出来ない。ハーディにはラマヌジャンの人間性が見えない。そしてハーディ自身もその事に全く気づいていない。これもある種の偏見が現れた姿だろう。

中盤においてラマヌジャンとハーディは口論するが、ハーディは民族主義者によって殴られたラマヌジャンの頬の痣に気づきもしない。「僕には妻がいるんです」。そうラマヌジャンに伝えられたとき、ハーディは初めて自分の偏った意識を知ったような顔をする。実際にラマヌジャンが、ある個人の子として生まれ、ある個人の夫として生活し、喜怒哀楽を持つ実在の人間だったことに気づいたような顔をするのだ。このシーンの、ハーディを演じるジェレミー・アイアンズの表情の変化は素晴らしいこの映画で最も激的なシーンである

また物語の中で良いスパイスとなっているのが、トビー・ジョーンズ演じる数学者ジョン・リトルウッドと、ジェレミー・ノーサム演じる哲学者バートランド・ラッセルだ。ラマヌジャンの良き理解者でありコミカルなリトルウッドと、皮肉屋のラッセルの二人のお陰で物語がきちんと締まっている。

ハーディとリトルウッドは共同研究を長年にわたって行ったようだが、一部の数学者はリトルウッドという名をハーディのペンネームみたいなものだと思っていたらしい。物語の序盤でラッセルがリトルウッドについて「ハーディの想像の産物だ」とジョークを言っているのは、多分上記のような逸話を元にしているのだろう。

なお、ジョン・リトルウッドには「リトルウッドの法則」というライフハック珍説がある。その法則とはなんと奇跡に関するものである。奇跡が個人それぞれに百万回に一度発生する事象だとし、何らかの事象が一秒間に一回発生すると仮定すると、人は大体一ヶ月に一度は奇跡を体験することになるという。

<おわり>

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