評価 | ★★☆☆☆ |
原題 | Swiss Army Man |
公開 | 2016 |
時間 | 97 min |
監督 | ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン |
出演 | ダニエル・ラドクリフ ポール・ダノ メアリー・E・ウィンステッド |
First Impression ─まえがき
ジャンル的にはハートフル・コメディといったところの作品。コメディと言っても大して笑えるわけではない。
無人島に流れ着いた若者が自殺しようとしていたところ、流れ着いた死体を発見し、その死体を友達扱いすることで生きるちからを与えられるというストーリー。
ダニエル・ラドクリフがその生きている死体役で出ており、テイスト的には「世にも奇妙な物語」みたいな荒唐無稽なもの。
内容は非常に下品で、多分男性は堪えられるだろうが、女性は無理な人も多いかも知れない。
Plot ─前半のあらすじ
乗っていた船の遭難によって周囲海ばかりの絶海の孤島に流れ着いたハンク・トンプソン(ポール・ダノ)は、救助が一切来ないことに絶望し、首を吊って自殺しようとしていた。
そんなハンクが縄に首をかけたその時、視界の波打ち際に男(ダニエル・ラドクリフ)が打ち上げられ横たわっているのを発見する。
ハンクは駆け寄り横たわる男を救助しようとしたが、その男は完全に死体だった。
だがハンクはその死体がある音を出しているのを聞く。それは腐敗ガスが体内に溜まってことから発せられている音だった。
ハンクはやっぱり思い直して首吊をやり直そうとする。だが噴出したガスで死体が海面を進むのを見て、このちからで海を渡れるのではないかと考える。
ハンクは死体をうつ伏せにしてその上に跨り、首吊のためのロープを手綱として首に巻きつけてコントロールし、まるで水上バイクを運転するようにして無人島をあとにする。
死体の乗り心地があまりにも不安定だったため、ハンクは死体から落ちて水中で気を失うが、目覚めたときにはどこかの広い浜に死体とともに流れ着いていた。
ハンクは大事にしていたスマホの電源を入れてみるが圏外。浜から見える景色は山森ばかりで、近くに人が住んでいる形跡はなかったが、前の孤島よりはマシだった。
ハンクは自分を助けてくれた死体をそのままにはしておけなかった。ハンクは腐敗ガスの屁がうるさい死体をおぶって山林の散策を開始。捨てられていた廃棄物からグラビア誌とコルク栓を見つけ、死体の尻にコルク栓を詰めてこれ以上尻から腐敗ガスが漏れないようにしてやる。
その夕、雨が降ってきたのでハンクは岩のくぼみに死体とともに野営する。翌朝ハンクが目覚めると死体の口の中に前日の雨水が溜まっていた。
ハンクは死体の胸部を押して噴出した水を飲料水として使用する。するとそうこうしているうちに、胸部を押された死体が声を発したのを耳にする。
ハンクが死体をいじっているうちに、やがて死体は完全に言葉を話すことが出来るようになった。ハンクは恐怖で死体を殴りつけ警戒するが、死体は「なぜ殴った」と文句を言う。
ハンクは死体が始めに発した単語から「メニー」と名付けてやる。
そして死体メニーとハンクは生き残るため、ふたりで協力してサバイバルを開始する。
Review ─批評と解説
下ネタだけで構成される会話
死体メニーがグラビア誌などを通して性的興奮を覚え、少しづつ生きていたときのような活力を取り戻していき、そしてそれに感化されたハンクもまた不幸な人生から立ち直ろうとする、というのが全体の趣旨。
メニーとハンクの会話のほとんどが、女と性行為と自慰行為、そして屁と排泄物の話で構成されている。(ホントはもっとフランクな言葉で書きたいがGOOGLE先生に怒られそうなので敢えて硬い言葉で記す)。
この下品さがこの作品の売りのようだが、単に下ネタなだけで特に笑える部分もなく退屈である。
メニーの勃起したものの勃ち位置から町の方向を割り出そうとするとか、まあ笑える人もいるのだろうけれどね。中学生レベルの下ネタ、今更笑う?
「下ネタごときでウブぶるんじゃねえ!」ということじゃなくて、単純につまらないの。面白かったのは最後のシーンでサラが “WTF” とつぶやくところだけ。
「人を笑わせるのは大切さ」「変人扱いされていじめられるだけさ」というセリフが作中にあるが、これはまさしくこの映画自体を表している。笑えないけどね。
「スイスアーミー」の意味
メニーは一人の人格でありながら、ハンクのサバイバルを助けるツールとしても機能させられている。
水上バイクとして、水分補給装置として、伐採道具として、ひげ剃りとして、石礫を発射する銃として等々。それをハンクが評してメニーを「スイスアーミーマン」と呼ぶ。サバイバルを可能にする「十徳ナイフ人間」という意味。
「死体がそういう風に扱える」というところにも多分笑いの成分の一端を与えられているんだろうけど、ウン微妙だ。
主人公ハンクはすごい馬鹿
メニーとハンクの間の人間ドラマも特に見るべきところはない。感動する人もいるのかな。わたしはしないけど。
というより、ハンクというホームラン級の馬鹿な青年に、その馬鹿さ故に哀れみと同情は感じはするものの、それだけだ。
ハンクがメニーに乗って打ち上げられた浜は、実は自分の家、あるいは自分の住む街の割と近くだった。多分離れて10kmあるかないかだ。というか数キロメートルかもしれない。終盤のシーンから参照するにせいぜい数十分から一時間足らずで歩いていける距離でしかない。
そんな距離にもかからわず、街へたどり着けないハンクの馬鹿さ。そして明らかに自分の行動範囲であったであろう場所なのに、気づかない間抜けさ、知識の無さ。
メニーを背負って山の中を連れ回す前に自分のいる場所の把握をすることすら考えられず、山の樹の実を食べて吐き戻す知能の低さ。
初めに遭難したのもやっぱり馬鹿げた理由に違いない。
そしてそんな馬鹿な青年の冒険とサバイバルを、形としてはヒューマニティとして描くことによって、メタ的に笑いを取ろうとしている作り手。
終盤で「やっぱりそういうことか」と気付かされるのだが、特に新しい感情は覚えない。無心だ。さ、「次の映画でも見るか」という程度で終わらせるべき作品である。
なおメニーとのサバイバル生活は、ハンクの妄想ではない。スイスアーミーマンとしてのメニーの存在は作中の他の登場人物も見た現実であることは最後のシーンで示唆されている。
もう一度書くが、これは作中においてはハンクとメニーのヒューマニティであり、メタ的にはコメディである。あのラドクリフをこんな役で使ってやったぜ!的な意味もあるんだろうね。
<終わり>