『LUCY/ルーシー』 :我々人類が向かうべき場所

評価★★★★★
原題Lucy
公開2014
時間89 min
監督リュック・ベッソン
出演スカーレット・ヨハンソン
モーガン・フリーマン
チェ・ミンシク

First Impression ─まえがき

この映画の評価は何故かどこでも低い。Rotten Tomatoes でも微妙な点数だし、日本の映画評価ブログでもだいたい酷評されている。

だが私はめちゃくちゃ面白いと思う。この『LUCY』の面白さがわからないなんてとても可哀想だ。本気でそう思う。

『LUCY』が扱っているものはSFの夢のうちのひとつであり、それは『2001年宇宙の旅』のテーマと全く同じである。我々人類というものは何のために存在するのか、そして我々は何処へ行くのか、人類のアイデンティティに関わる哲学がこの作品の裏に存在している。

それを下敷きにした上で、それなりのアクション性を重ねており、単なる哲学的意味合いだけではなく、エンターテインメントとしても成り立たせてある。『LUCY』は間違いなく大傑作である。


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Plot ─前半のあらすじ

台湾で学生として生活しているルーシーは、ボーイフレンドのリチャードに目の前にあるホテルのフロントにアタッシュケースを届けてほしいと依頼される。明らかに怪しいリチャードの行動にルーシーは「自分でやれ」と何度も断るものの、リチャードはしつこい。ついにはリチャードはルーシーの腕とケースを手錠で繋ぎ、無理やりフロントへと送り出す

ルーシーが仕方なくホテルのフロントにアタッシュケースを見せると、フロントが何処かへ電話した後、ホテル内が物々しい雰囲気に包まれた。背後の銃声にルーシーが振り向くと、ホテルのガラスの向こうではリチャードが撃たれて死んでいた。ルーシーは恐怖に満たされながら、屈強な男たちにホテルの上階へと連行されることとなる。

上階の部屋で待っていたのは韓国マフィアのボスのチャンだった。脅されたルーシーがアタッシュケースを開けると、中に入っていたのは美しい青色の結晶を持つCPH4と呼ばれる超高級合成麻薬だった。

殴られ気を失ったルーシーが目を覚ますとベッドの上だった。ルーシーの腹部は切開されたあとに縫い付けられており、中にCPH4の入ったビニール袋を入れられていた

チャンは、ルーシー他、マフィアに捕らえられた三人にCPH4の運び屋としてそれぞれの故郷の国に戻るように促す。失敗すれば家族も殺すと約束して。

ルーシーは飛行機に乗る前にマフィアの下請けギャングのアジトに移送される。そこでルーシーは猥褻行為に抵抗したことでギャングを怒らせ、激しい暴行を受け腹部を傷つけてしまう。そのせいで縫われた腹部が開いてしまい、ビニール袋も破れて腹の中にCPH4が溶け出すこととなる。

CPH4は妊婦の体内で妊娠6周目に僅かな量だけ生成され、胎児の成長を促すために使われるホルモンだった。大量に服用すれば死に至るような物質だったのだ。

体内にCPH4が流れ出たことでルーシーは危篤状態に陥る。あまりに激しい症状に気を失ってしまったが、覚醒すると症状は収まっていた。ルーシーは幸運にもCPH4を克服して不思議と落ち着いており、自分の体を完璧に制御することができるようになっていた。もはや精神も肉体も感情も完全にルーシーの統制下にあり、そして通常の人間を遥かに超える頭脳、ちから、スピード、精密さで自分自身を操れるようになっていたのだ。

ルーシーは捕らえられていた鎖も難なく外し、奪った拳銃で軽くギャングらを撃ち殺すと病院へと向かう。まずは体内の残りのCPH4を取り出さねばならなかった。そして次はルーシーと同じように運び屋となった三人からCPH4を取り出し、手に入れなければならない。さらなる肉体の進化を遂げ、人類としての次のステップに至るためにである。

ルーシーの由来

「ルーシー」という名前は、エチオピアで発見されたアウストラロピテクス・アファレンシスの一個体が由来である。そしてその「ルーシー」の名称自体がビートルズの “Lucy in the Sky with Diamonds” から取られている。つまり「LSD」ということで、作品中のCPH4とは麻薬繋がりというわけだ。

余談だが、アファレンシスのルーシーは320万年前後の個体である。このアファレンシスは我々ホモ・サピエンスの三分の一ほどの脳容量を持ち、直立二足歩行を行っていたと推定されている。そのお陰で「両手」が空き、石なり棍棒なりといった道具を利用できるようになった。これが脳容量の大きな個体にとって有利に働き、そしてそれが自然淘汰による生存競争での有利さに繋がったことだろう。もっとも現在では、アウストラロピテクス・アファレンシスは我々現生人類の直接の祖先ではない可能性が高いということになっている。

スカーレット・ヨハンソン演じるルーシーは、CPH4摂取直後でもイカす能力を示した。まず感情という抑制が薄れたことで、決断に対して馬鹿げた逡巡をしないのが素晴らしい。

覚醒したルーシーはギャングやマフィアを撃ち殺すのにも躊躇しないし、手術を受けていた患者も治らないという理由で平気で殺す。一部のアクション作品では、自分を殺しに来たやつなのに殺し返す(他に良い言い方が思い浮かばない)のを物凄くためらったりする。あるいは相手がゾンビなのにもかかわらず、止めを刺すことを渋ったりするのだ。

私はそういうのが大嫌いなので、ルーシーがためらわないのに非常に好感を持った。チャンの両手をダガーで封じながら、自分の今の精神状態をレクチャーするシーンなんて最高に痛快である。なぜこれの面白さがわからない!?

またルーシーはすべての常識を飛び越えていく。カーチェイスシーンも自分の運転する車には全く傷をつけずに運転する。それはそうだろう、というかそうでなくてはならない。それをきちんと表現するところも「わかっている」。

ルーシーがもはや既存の人間世界にほとんど興味が出ていないところも「わかっている」。全ての人類を超越してしまったので当然そうなるに決まっているのである。だから追ってきたマフィアもどうでもいいし、自分の目的を達成することだけに注力している。最後のシーンで仮にチャンに撃たれたとしてもルーシーにとっては何のダメージにもならなかっただろう。チャンとマフィアの存在はルーシーにとって既存の人間はもはや無意味であることを意味している。

ルーシーは人類の期待と夢

理解できないのは、『LUCY/ルーシー』に対する意味不明の批判である。その中でも最もどうしようもなくて馬鹿げた批判が「科学的根拠がない」「物理法則を無視してる」というものだ。

こういう人たちは例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に対しても同じことを言うのかね?ほぼ全てのSF作品だけでなくホラーもファンタジーも、映画も漫画も見れなくなってしまうわけだが大丈夫かなのか?まあ多分大丈夫ではないのでしょう。色々と。

勿論この作品に粗が多いことは分かっている。だがそれも大した問題ではない。『北斗の拳』のケンシロウが毎回怒りに任せて服を破るのを見て、「あの荒廃した世界で、服は何処から仕入れているの?」と疑問を持つようなものである。それが比喩表現であることは、ある程度の物事を経験してきた大人なら理解できるはずである。

同様に、『LUCY/ルーシー』も比喩表現にあふれている。冒頭のリチャードとの会話シーンで、豹とインパラの映像を誰でも分かる比喩として見せていたことは、この布石である。これは確かにこの作品の限界かもしれない。だがそれは同時に、まだルーシーからは程遠い我々人類の限界でもある我々はまだ我々を知らないからだ。

『LUCY/ルーシー』は我々ホモ・サピエンスの期待でもある。我々この銀河のはずれの「宇宙の小石」に生まれた最初の知的生命体にとっての可能性が、高層ビル群の中でハンバーガーにかぶりつく程度のことでないと確認したいのだ。いつかはこの星を超え、あるいはこの現生人類の肉体の殻を破って、この宇宙に飛び出したい、「ToE」を見つけたい、「Εύρηκα!」と叫びたい、そして我々の行くべき場所と目的を知りたい、そういう人類の期待と夢が、この『LUCY/ルーシー』には描かれているのだ。

<おわり>

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