レフト・ビハインド : 神は時に不可解なことをする

原題:Left Behind

公開:2014年

時間:110分

監督:ヴィク・アームストロング

出演:ニコラス・ケイジ / カッシー・トムソン / チャド・マイケル・マーレイ / リー・トンプソン

評価:★★★☆☆

Trailor 予告編

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First Impression まえがき

初めに断っておかねばならない。だがこれは半分ネタバレともなる。だから映画を前知識なく楽しみたいという人は、この先の文章を見るべきではない。

ジャンルとしてはSFパニック映画とするべきだろう。

そしてこの映画はガチのキリスト教関係作品である。

そのガチさは割と強いレベルなので、宗教やキリスト教そのものに対して不信感や拒否感を持っている人は見ないほうがいいかもしれない。批判的に見るというのはもちろんありだが(私だってそうしている)、多分大体の人は「なんか気持ち悪いっ!」くらいの感想しか覚えないかもしれない。大して批評すべきことはないのだ。

しかし予めキリスト教映画として見るならば、これは実に興味深い作品である。もちろん作品自体が面白いと言うより、メタ的な部分、そして作品批評周辺を含めた面白さである。

Plot 前半のあらすじ

大学生クロエ・スティール(カッシー・トムソン)は、パイロットの父の誕生日パーティのため実家に向かっていた。ところがJFK空港に着いたことを母のアイリーン・スティール(リー・トンプソン)へ通話した際、当の父は仕事で誕生日パーティに出られなくなったと告げられる。

クロエは事を糺すため父を空港内で待つことにする。その際に著名なTVリポーターのキャメロン・ウィリアムズ(チャド・マイケル・マーレイ)が、あるクリスチャン女性にキリスト教について話しかけられているのを目撃する。

「あなたは世界で多くの事件を目撃してきたようだけど、全ての災害や戦争は終末の前兆なの」と女性は語った。それを耳にしたクロエはつい黙っていられなくなり、「ならば何故そんな災害を神は止めようとしないの?」と議論をふっかけた。「それは人間がこの世界を堕落させたからよ」と続ける女性に、「堕落させたのは私? それともあなた?」と追い打ちをかける。女性はこういった議論についての常套句である「神はときに不可解なことをする」の言葉を以て会話を締めようとするが、クロエはさらに「そんな不可解な神の愛を信じている方がよっぽど不可解だわ」と一蹴する。

クロエはついやり過ぎたことを悟りその場を離れるが、キャメロンから「厄介な女性を黙らせてくれてありがとう」と礼を言われる。クロエはキャメロンに自分の母親もそういった熱心なクリスチャンだからつい熱くなったのだと告白する。

こうしてクロエとキャメロンが話しているところへ、クロエの父レイフォード・スティール(ニコラス・ケイジ)が現れる。

久々の再開に喜びながらも「何故ここへ?」と訝しがるレイフォードに、「今日はパパの誕生日じゃない」と答えるクロエ。クロエは家庭が崩壊しつつあるのではないかとの疑念を父レイフォードにぶつけた。それは母アイリーンがこのところ信仰に対して熱心に取り組み始めたことと関係していた。その熱心さが母当人だけでなく、周囲に半ば押し付けるような形で展開していたからだ。

父レイフォードもアイリーンから逃げたがっているようにクロエは感じた。しかしクロエはそれ以上追求できず、レイフォードとはパイロットの仕事のためそこで別れることになる。

一方キャメロンもレイフォードの操縦する機体に搭乗する手はずだった。クロエはキャメロンに自分の電話番号をU2のライブチケットの包み紙に書いて渡す。そのチケットは父レイフォードが誰かとのデートのために同僚に用意させたものだった。レイフォードが母アイリーンを疎ましく思い別の女性を求めている明白な証拠である。

キャメロンとも別れ空港をあとにしたクロエは、レイフォードの車で実家に帰省する。母アイリーンとは久しぶりの対面だったが、案の定信仰の話を切り出されてうんざりしたクロエは小学生の弟レイミーを連れてショッピングモールへ出かける。

クロエは、レイミーすら父レイフォードと母アイリーンの間の壁に気づきつつあるのを察した。そんな不安がるレイミーをクロエは抱きしめてやるが、その瞬間、着ていた服だけを残してレイミーが消失した。

消失したのはレイミーだけではなかった。モール中の子供が服だけを残して全員消えていた。クロエは必死になってレイミーを探すものの、パニックに陥って騒乱の体となったモールでは誰もが理性的な行動は不可能となっていた。

一方レイフォードが操縦するロンドン行きの機内でも同様のことが起きていた。消失したのは子供だけではなかった。大人たちの一部も同時に消えたのだ。そしてレイフォードの隣りに座っていた副操縦士さえも。

副操縦士を失ったレイフォードは必死に航空機の操縦を取り戻そうとするが、混乱した乗客が機長を出せと操縦室へと押しかけていた。キャメロンは恐慌に陥った乗客たちをなだめ、なんとか平静を取り戻そうと奮闘する。

Review 批評と解説

「携挙」と「福音主義」

クリスチャン以外は、この映画で示された、人々の突然の消失とキリスト教の関係について不明かもしれない。

この人々の消失現象は一部のクリスチャンによって「携挙(けいきょ)」と呼ばれる。言わばキリスト教の創始者の一人と言っていいパウロによる「テサロニケの信徒への手紙1」(新約聖書)には以下のようにある。

すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、

それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主とともにいることになります。

1 テサロニケ 4:16-17 (新共同訳)

上記のように書かれていることが根拠とされて「携挙」という現象の存在が肯定されているのだが、ただし、これはキリスト教の全ての教派で認められているわけではない。

「携挙」の言葉を用い、それがいつか来ることを肯定するのは主に「福音派」と呼ばれるプロテスタントに属する人々である。そして「福音派」というのは確固としたキリスト教教派というよりは「福音主義」という神学を肯定する人々(の集団)を指していう。

福音派は聖書の権威を信仰の中心に置く人々である。聖書原理主義だとかなんとか批判されることもあり、進化論を否定したり、地球は円だと主張したりする人々も福音派に多い。ただし一概は言えず、立ち位置はそれぞれであり、特に日本の福音派は米国のそれらほど過激ではない。

つまりこの映画は否定するにせよ肯定するにせよ上記のような福音主義的部分が前提としてあって描かれているのだ。

肯定か否定か

「否定するにせよ肯定するにせよ」と態々付け加えたのは、この作品が「携挙」という現象の存在の妥当性について、そして福音主義的な考え方について、単純に是とは捉えられない描き方をしているからである。

例えば空港でキャメロンに神学的議題をふっかける(おそらく福音派で、しかもやや狂信的に見える)クリスチャン女性は、クロエによる一般的によく見られるようなキリスト教批判に絶句して答えられなくなってしまう。

またその後やはり空港のロビーでキャメロンがクロエに対して話す、神の力を信じていながら地震で子供を失い、また自分も山津波で命を奪われる母親の逸話の結論も、信仰に篤い人々にとって辛辣である。「見たいことだけを見て、他のことには目をつぶる」という言葉は、篤信家はあまり聞きたくないセリフだろう。

そして「携挙」後に描かれる人々のパニックと絶望。それは神の御業によって起こったとは思えないほど無慈悲で容赦がない。

米国の福音主義寄りの人々がこの映画に拒否的な反応をしているのも当然である。どうみてもこの作品は福音主義的立場を肯定していない。まるで「お前らは『携挙』と軽々しく言うが、それが起こったとしたら世界はこうなるのだぞ」とでも言いたいようだ。

ところが面白いことに日本のキリスト教界隈には、この作品に対して否定的な見解が見られないのだ。むしろいくらか肯定的に捉えているようにすら見える。この点は私にとって全く不可解である。日本の福音派は、この作品中の福音派や「携挙」の描き方を妥当だと思っているのだろうか?

Afterword さいごに

というわけで、この「レフト・ビハインド」はキリスト教のわりと「ガチ」な部分の知識がないと「なんじゃこりゃ」で終わってしまう作品である。しかしその「ガチ」のクリスチャン周辺の実態知っているとまあまあ楽しめる映画なのだ。

熱狂する「神の国」アメリカ
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