『ラ・ラ・ランド』 :厄介者たちに乾杯を

評価★★★★★
原題La La Land
公開2016
時間127 min
監督デイミアン・チャゼル
出演ライアン・ゴズリング
エマ・ストーン
カリー・ヘルナンデス

Trailer

ド・リンク

First Impression

「ミュージカル嫌い」という人は結構多いと聞く。わたしはそうではないし、どちかというと大好きなタイプだ。歌うこと自体好きだし、わたしはだいたいリアルでも突然歌い出す。人前ではしないけど。車の中では絶唱している。

この作品も冒頭から「いきなり」歌い出すので、ミュージカル嫌いな人は共感性羞恥に陥らないよう注意が必要である。もったいないね!すごい良い作品なのにね!

なおジャンルとしては、サクセスストーリーのラブストーリーに多少ミュージカル要素が混じった感じ。ミュージカル成分はそれほど強くないので、「ミュージカル嫌い」が免疫を得るためのワクチンとして最適かもしれない。

Plot

女優志望のパートタイマーのミア・ドーラン(エマ・ストーン)はロサンゼルスの朝の渋滞に巻き込まれていた。渋滞の最中に、友人との電話で次回のオーディションの確認をしていると、背後からひときわ大きくクラクションを鳴らされた

いけ好かない男が、前方が空いたことで「早く行け」の合図をしたのだ。その失礼さに、ミアは思わず男に向かって中指を立てる。

ミアは撮影所内のカフェでのアルバイトを終えてオーディションに行こうとするが不運にも客とぶつかってシャツを汚してしまう。おまけにオーディションの手応えも芳しくない

失意の中で住居のシェアハウスに戻ったミアは、行く気のなかったパーティに向かうことにする。パーティにはロサンゼルスのセレブたちが集まっており、シェアハウスの友人たちも成功者をゲットするために張り切っていた。

だがミアはパーティに参加しつつも自分の若さや美しさではなく、才能を買って欲しかった。ロスのセレブには大して興味はなかったのだ。ミアはそんな男の気を引くだけのつまらないパーティから帰ろうとすると、またもや不運にも自分の車がレッカー移動されていた

しかたなく歩いて帰ろうとする途中で、ミアはバーの中から聞こえてきたジャズピアノのメロディに心を奪われる。ジャズは大して好きでもなかったのに、ミアはそのバーへと不思議と導かれていった。

そこでジャズを弾いていたのは、今朝渋滞の時にクラクションを鳴らしていたあのいけ好かない男セバスチャン・ワイルダー(ライアン・ゴズリング)だった。

セバスチャンはバーのピアノでクリスマスソングを弾くように店主から命じられていたが、ジャズ好きが高じてついジャズを弾いてしまう。

そのお陰で店主からクビを言い渡されたセバスチャンは、ミアが何か話しかけようとしていたのも無視して店をあとにした

それから数ヶ月、ミアは再びパーティに参加する。そこでバンドのなかでA-haのアホみたいな曲(注:筆者の個人的意見です)をアホみたいな格好で弾いているセバスチャンを発見する。

ミアはセバスチャンのバンドにアホみたいなバンドだったフロック・オブ・シーガルズ(注:筆者の個人的意見です)の曲をリクエストする。

反りが合わなかったふたりはパーティを抜け出してロスの夜景の見える場所へとやって来る。そこでふたりはやっぱり気が合わないことを確認して別れることになる。

数日後ミアがアルバイトをしている最中、店にセバスチャンがやって来る。ミアの仕事終わりにふたりは撮影所の中を散歩する。そこでミアが「ジャズは嫌い」と言ったことで、セバスチャンはジャズバーへとミアを案内することになる。

セバスチャンはジャズの素晴らしさをミアに力説し、ジャズは死にかけていると持論を展開した。セバスチャンはジャズを生き返らせるために自分にはジャズを演奏する店を持ちたいとミアに夢を語った

そしてミアはその時かかってきた電話を受け、「理由なき反抗」っぽいドラマの一次オーディションに通ったとセバスチャンに話す。そこでセバスチャンは偶々「理由なき反抗」を上映している映画館があることをミアに告げ、今度一緒に見に行こうと提案する。

Review

恋愛映画のテンプレは崩せない

始めは互いに虫の好かない相手だったのに次第に惹かれ合っていくというのは、恋愛作品のテンプレートだ。というか男と女の恋愛映画というのは結局それ以外のストーリーにはなりにくい。

しかし、ホラー映画もパターン化されたテンプレートを踏襲するだけではもはや作品として微妙な扱いを受けるのと同じように、恋愛映画も単に「いがみ合って仲直り」するだけでは飽きられるだけだ。

親密になる過程が恋愛映画の一番の問題となる。そういった意味でジャズと映画というそれぞれが目標とするものが、単なる一過性の小道具で終わらず、ふたりの愛を育むためのキーになるというのはまあ悪くない筋立てだとは思う。

ミュージカル形式で恋愛を表現するというのはテンプレートと言うよりはむしろ古い手法と言うべきだが、これも作中にクラシカルな映画などのディテールを盛り込むことでそこそこ上手く昇華している。

ジャズとミュージカルの関係は、ジャズからミュージカルへの「一方的な恋愛感情」という気もするが、わたしはジャズにもミュージカルにもそれほど詳しいわけではないので、分かってないだけかも知れない。

ミアの絶望

『La La Land』が素晴らしいのはここふたりのサクセスストーリーを混ぜ込んできたことだ。

音楽に対してストイックであったはずのセバスチャンが食べていくために譲歩する一方で、オーディションに落ちっぱなしのミアが芝居に対して自分を追い込むようなアプローチを取る

ミアがセバスチャンに求めていたのは、夢に対して自分と同じ信念を保つことだった。「声がする 『私がいるよ大丈夫』と どこへ行くかなんて知らなくていい 狂おしい気持ちや高鳴る心さえあれば」という挿入歌 “City of Stars” の歌詞は、まさにミアの心情をそのまま表している。

だがセバスチャンは「うだつの上がらない」自分の収入と生活がミアを苦しめていると感じ、音楽と自分に妥協を許す。

ミアがセバスチャンの参加するバンドのライブを初めて見るシーンは、とても素晴らしい。セバスチャンのピアノとキースのボーカルから始まった曲が、前奏開けにジャズではなくポップフュージョン的な何かだったと理解した瞬間、ミアの表情が一変する。

「最高の気分さ君にもわかるかい 今夜は最高の気分さ」という歌詞が、ミアには空虚に響く。「あの音楽好き?」「さあ…なぜそんなことが大事なんだ?」という会話にふたりの考え方のすれ違いが現れている。「君は好きか?」「ええ、でもあなたは違うかと」とのやり取りから、自分の信念に対する問題なのだとミアはセバスチャンに訴えているのがわかる。

その一方で「情熱があれば人は来る」「人は情熱に心を動かされる」というミアの信念は見事に打ち砕かれる。そのミアの公演の劇場に己の信念に妥協したセバスチャンの姿はなかった。

「厄介な私たち」

ミアは最後のオーディションで、パリのおばの話を語り、歌う(” Audition (The Fools Who Dream) “)。

ミアが棒立ちで「反逆者たちよ さざ波を立てる小石よ 画家に詩人に役者たちよ そして乾杯を 夢見る愚か者に イカれてると見えても どうか乾杯を 厄介な私たちに」と語り歌うシーンは鳥肌モノだ。『La La Land』のエッセンスがここに全て集約されていると思う。

結末の意味

最後のオーディションに合格したミアは「成功」する。セバスチャンとは別れ、別の誰かと結婚し、子供を持ち、そして他人も羨む女優となっている。

一方セバスチャンも「成功」した。自分の店を持ち、自分の店でジャズを演奏し、客の入りも好調だ。

そこでふたりが再開し、 “Mia & Sebastian’s Theme” がセブによって弾かれ、作品の別の時間軸が始まる。

この時間軸はセバスチャンが夢を諦め、ミアのサポートに徹した平行世界の場合の情景である。そしてこれはセバスチャンが本当はこうあるべきだったと望んでいた展開であり、ミアもそうあってほしいと願っていた世界の流れである。

Afterword

ポスターにも使われているこの美しさが、作品のイメージを際立たせてくれている。Blue Hourは、仕事を終えてこれから人が動き出すディナーの時間であり、音楽の、芝居の、映画の時間である。

『La La Land』ではBlue Hourの背景が効果的に用いられている。完全な夜の闇ではなく、まだ遠くに夕焼けの朱が微かに降りてゆく一瞬。空がまだ碧く残されている幕間の時。

さて今日はいったい何を観ようか。

<おわり>

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