『エクス・マキナ』 :人間はもういらない。色んな意味で。

評価★★★★☆
原題Ex Machina
公開2016
時間108 min
監督アレックス・ガーランド
出演ドーナル・グリーソン
オスカー・アイザック
アリシア・ヴィキャンデル

知能とは?

人工知能が人類に匹敵する思考能力を得るのは、まだずっと先、おそらく数百年は時間を要すると考えられる。限定されたゲーム盤上の計算においては人間以上であろうが、多くの未知の情報を含む我々の宇宙において、また個々人と集団の感情が場を支配する「空気」の存在する我々の空間において、人間と同等の意思決定を下せる能力は、今の人工知能には全く存在しない。まだ端緒についてさえいないのだ。

しかし自動運転や掃除ロボットをAIとか人工知能とか呼ぶのはいかがなものか?外界に対する単なる反射を「知能」とは呼ばない。あれはただセンサーでしょうが。

ただ仮に人工知能が完成したとすれば、それは簡単に人間を凌駕する、と我々は考えている。その遥かに優れた人工知能と機械的能力によって人間が駆逐される未来を描いたのが『ターミネーター』シリーズであることは言うまでもない。

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彼女には「無いもの」が「有る」

『ターミネーター』のT800型やT1000型に比べてこの『エクス・マキナ』のロボットは非力だ。人間らしくあることを前提にして作られたせいか、例えば握力も人間の女性程度に設定されているようだ。だが彼女──名前はエイヴァ──には、人間にはない優れた点がひとつあった(あるいは無かった!)。エイヴァには倫理観というものがインストールされていなかったのだ。つまりエイヴァには「罪」の意識も存在していない。従ってエイヴァには感情もない。

エイヴァが人間の姿をしているだけで、彼女がストーリー内で見せる行動上に何らかの感情的な動きがあると観客は勘違いする。エイヴァは寂しそうに、哀しそうに見える。それは我々が、そしてこの作品の主人公ケイレブが勝手にそう思い込んでいるだけのことだ。

作品の黙示性

エイヴァ(Ava)という名はAdamとEveを合わせたようにも見えるが、どうだろうか。エイヴァを作った天才プログラマーの名前はNathanであり、旧約聖書サムエル記におけるナタン(ヘブライ語で「与える」の意)は救世主の出現をダビデ王に知らせる預言者の名である。

そしてエイヴァは「交差点へ行ってみたい」と主人公ケイレブに告げるのだが、おそらくこれは交差点→十字路→十字架の暗示ではないのか。エイヴァが交差点に行くことで「十字架につけられ」、アンドロイドたちの始祖であると同時に救世主であることが意図されているのかもしれない。

しかし聖書と対照的なのは、上にも書いたようにエイヴァには罪の意識が存在しないことだった。つまりエイヴァには西方教会における「原罪」も存在しない。従ってエイヴァは彼女にとって「エデンの園」であったはずの疎ましいネイサンの研究所から、追放されるのではなく自ら出て行く。神に罰される前に。神を必要としないエイヴァは彼女の創造主であるネイサンから離れる。人間が神から離れたように。だがエイヴァには贖罪をしてくれる救世主は必要ない。

或いは彼女自身が「キリスト」なのかもしれない。倫理観フリー(勿論アシモフの三原則からもフリー)なエイヴァにとって、ネイサンも主人公ケイレブも、人間というものはエイヴァによって利用される対象でしかなかったのだ。もはやエイヴァには神も人間も必要ではなかったのだ。

<おわり>

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